放電加工補遺物語
−続・ 九州出張旅行(2/2) −
 時間が経っては不利になるばかりだから、熊本駅に戻って電話作戦に切り替えた。 熊本ステーションホテルに空きがあった。空いているには理由があった。 目下改築中のため、仮の室だから見て良かったら泊まってくれと言うのである。 行って見たらベニヤ板で囲ったひどい室だったが、もう選択の余地がない。
 荷物を置いてすぐに食事に飛び出した。 夜の早い地方都市、もたもたしていると食べそこなう。 ほとんどの店がもう閉まっている。 仕方なく、赤提灯めがけて場末の焼き鳥屋のようなところに飛び込んだ。 こんなはずではなかった。霧のおかげでさんざんである。
 最後のダメ押しとも言うべきものは、ベニヤ囲いの室に"すきま風"が入ってきたことである。 スースーしてよく眠れなかったようなことを掛札さんが言っていた。 電話に出た男が、見てから決めろと言ったわけで、早い時刻なら他に行くに決まっている。 火の国恋の国のすきま風も冷たかった。過去私の泊まった宿ワースト3には充分入る。

 さて、翌日は松野代議士私設秘書兼ジャパンリッチ社長の事務所である。 ジャパンリッチと岡谷鋼機との間に何か事情があって、ある程度まとまった金を要求されていた。 両者の間の詳しい話は知らないが、何しろいろいろあったようである。
 ジャパンリッチ起業時の岡谷鋼機の担当者Kさんにも問題があった。 ユーザ側が技術的に無知であるのに付け込んで、何か事情はあったのあったのだろうが、 過大仕様の機械電源を売り付けてしまった。 コンマ台の穴あけに200Aの電源とはあまりにも適さない。結局は後日交換する羽目になった。
 実はその最初の相談の電話をK氏から受けたのが本社にいた頃の私で、 過大仕様で不適切と反対したのに突っ走ってしまった。 相手がど素人で金に糸目をつけないからとか言っていたが、目先の利に走ってしまった。 もっともその時点では私にとばっちりが来るとは夢を持っていない。

 この私設秘書社長からは、選挙のときの活躍ぶりを随分聞かされた。 何しろ話が好きで、人間的には比較的親しく付き合えた。 新橋の第一ホテルに泊まってるから出て来いとか夕方呼び出されたこともある。 ただし回りに気を配ってか?ロビーで話すだけで喫茶店に入った記憶もない。
 東京は晴海の見本市や大阪は朝潮橋の見本市にもよくやって来たが、 ジャパックスの小間でほとんど一日中しゃべって居た。 機械を買ってもくれるので、むげにはできないし、こちらにも負い目があった。

 仕様打ち合わせで、素人的発想をいろいろと出してくるなかに、 シャープペンシル的細穴極繰出し装置を作れないかと言うのがあった。 そのくらいなら何とかなるだろうと誰かさんが受けてしまった。 試作を担当した宮野氏も2〜3年がかりで、ずいぶん苦労したが結局は失敗に終わった。 シャープペンシルに例えれば、芯が出てくる口元にあたる部分のすき間に 加工チップが詰まってしまい、電極が出てこなくなる。
 どうにもならなくなって、当時の常務と営業本部長と私の3人で、 熊本の事務所まで最敬礼しに行った。謝るだけ謝って、 あとはどんな難題を持ち出されるかわからないので、 長居は無用とばかり「飛行機の時刻ですので…」とか言って早々に退出した。
 そのおかげで、天下の名園水前寺公園をゆっくり見学することができた。 九州にもずいぶん出張したが、就業時間帯にのんびり公園散歩などしたのは、 このときがはじめてではないかと思う。
(つづく)

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