放電加工補遺物語

− 続々・みちのく出張旅行(2/2) −
 一家8人もの大家族居候(いそうろう)で1軒に長居すると嫌われるので、 広いエリアに散在している親戚知人の家を5軒ほど替わった。 10日間ほど泊めてもらった遠い親戚の家は山の上の1軒家で、電気がまだきていなかった。 当然ラジオもなく、新聞も来ないから、誰か里に降りて、 情報を仕入れて来ないと戦争などの出来事も一切わからない。 終戦を知ったのも数日後のことだった。
 夜の照明は石油ランプであるが、石油も払底し、質の悪い松根油など細々と燃やすので、 すぐランプのホヤが煤けてしまい本などはとても読めるものではなかった。 その代わり、晴れた夜の月や満天の星はすごくきれいだった。 お風呂やトイレはその匂いを遠ざけるために広い前庭をつっきった先にあり、 夜はそこまで行くのにすら月や星の明りが頼りなのだった。 暗くて足元が見えずに肥溜めに落ちた人の話も聞いた。

 その家のトイレは大きな桶を穴に埋め、板を2枚渡してあるだけだから、 気を付けないと本当に危ない。目かくしに三方にむしろがぶら下げてあった。 がけに面した一方はオープンである。そうしないと中が真っ暗になってそれこそ危ないのである。
 トイレはともかく風呂場までも離してあるのは、井戸水運びが重労働のために、 水の入れ替えなしで一週間くらい使うものだから異臭を放つようになる。 それも肥料にするというのであった。何しろ井戸水そのものが最初から白濁していた。
  質の良い飲料水を汲みに行くには、さらに遠くの泉まで行かねばならない。 雨の日など泥んこの傾斜道を1qも往復するのだから、なれないと滑って転ぶ難作業だった。 そんな農家では水が貴重で食器などは洗わない。 水も電気もひねれば得られる都会では経験できないことを沢山したのだから、 学校にまさる貴重な実学であった。  宮沢賢治のある童話の序文に次のようなものがある。 「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、 虹や月明かりからもらってきたのです」宮沢賢治の研究者が沢山いるが、 ある人は作品をよりよく理解するには、賢治のように岩手の山や林を夜歩いてみるのが一番だと言う。 私はそれをわずかながら経験した。

  親戚の家にお使いに行って遊び過ぎ、帰り道の半ばで日が暮れてしまった。 月明りがあったのが幸いだった。月が雲に隠れるとその間は真っ暗闇になる。 それこそ墨を流したようだと言うのだろう。月や星の存在感は都会とは比較にならない。 空気が澄んでいて天の川が鮮やかに見える。まさに"銀河鉄道の夜"の世界がある。
 転々とした疎開先の最後は一の関に近いところだった。 その家の人に平泉の中尊寺や毛越寺に連れていってもらった。 岩手の誇る藤原三代の文化遺産を見せてあげようということだったのであろう。 それ以来何回か平泉に行っているが、往時、奥の社で姻戚だという奥さんに ご馳走になった田舎のお汁粉のことが思い出されて懐かしい。
 さて、その日は、花巻を後にして秋田県に歩をすすめた。 今は山形新幹線や秋田新幹線ができて大変便利になったが、 当時は奥羽山脈を越えて秋田側に出る列車の本数は少なく便利が悪かった。 とりあえず現北上線で奥羽本線との交点、横手まで出て、駅近辺の和風旅館に泊まった。

  実は仙台市に22年も住んでいながら、この時が初めての秋田だった。 秋田新幹線ができた今でも、仙台市から東京までより、秋田市へ行く方が時間的にかかる。 秋田は当時かなり遠いところというイメージだった。
 大学の同級生に秋田市の郊外から出てきたT君というのがいた。 秋田弁まる出しで話されると東北人どうしと言えども半分は意味不明なのに驚いた。 彼は特別なまりが強いのかも知れないが、それだけ距離感があった。
 ともかく、初めての秋田、秋田美人と秋田のお酒に期待して行ったが、 横手の旅館は期待に反しないような暖かい思い出がある。 冬に積雪の多いことで知られている秋田の、横手は"かまくら"なる雪洞で知られている。 そんな冬の名残りか炬燵がまだあって、熱燗があって心から温まったせいかも知れない。
 5日目は秋田本本荘市の小林工業を訪ねた。  本荘市は秋田県南部本荘平野の中心をなす日本海沿岸の都市である。 おそらく秋田県で初めての放電加工機にちがいない。 ジャパックスか放電加工技術研究会の会合かでお目にかかっていた担当責任者も 熱心な方だったと記憶する。
 プレス抜き型の加工品を何点か見せていただきながら若干の質疑応答を行った。 まだ未熟な放電加工機に対し、いろいろ改善改良のご提案もいただいた。 せまい地方都市では情報が早く見学者も多いということで、要望事項なども集約されている。
 せっかく来たのだからゆっくりしてゆけとのお話もいただいたが、 旅もそろそろ終えねばならないからと辞去し、 山形経由の仙山線でこの旅最後の宿泊地仙台に向かった。 週末を故郷で過ごし、訪問した各社からの情報をおみやげに月曜日から出社という予定である。

 今も年に2〜3回は東北を旅するが、これを書いているうちに、 疎開した岩手の山や川がなつかしくなってきた。 「イーハトプは一つの地名で夢の国としての日本岩手県であります。」 という賢治童話集"注文の多い料理店"のチラシ広告に誘われて行ってみよう。

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