放電加工補遺物語

− 続々・みちのく出張旅行(1/2) −
 4日目は仙台からさらに北上し、岩手県の花巻市である。 花巻は詩人で童話作家の宮沢賢治の生まれ故郷である。 花巻でその他に知られているものには花巻温泉郷や花巻空港がある。 食べ物では"わんこ蕎麦"であろうか。
  岩手県はご承知のごとく、面積が日本最大の県で四国4県とほぼ同じである。 この大きな岩手県は北上川流域から開けたそうで、東北一の北上川は盛岡、花巻、 一の関と北上盆地を下り、宮城県に入る。 流れの一つは石巻湾に注ぐように伊達政宗が改修させたという。 石巻の河口付近に親戚がおり、子供の頃誘われて釣りをしたことがあるが、 仙台の広瀬川とは比較にならない大河であった。
  花巻市では、市内にあるユーザの新興製作所(前に書いた新興通信機はまちがい)を訪ねた。 花巻にテレプリンターなど通信機関係の工業を興した先駆的企業と記憶する。 後にこの会社系の製品である紙テープパンチャーなどはジャパックスでも購入した。

  この会社には先輩が居るので心強い。 当時、工業の遅れていた奥州には数少ない就職先の一つである。 訪問目的のユーザ情報の収集、加工上の問題点へのアドバイスなどは無事すみ、 先輩に例によって工場内をくまなく案内してもらい説明してもらった。 若年未熟社員にはこの見聞がいろいろと勉強になる。
  ところで、ジャパックスと岩手県のご縁をちょっとだけ挙げると、取締役技術部長を務められ、 のちにエドマスの顧問になった故豊島達兄さんが、岩手大学の前身盛岡工専卒で、 三菱電気から豊田工業大学に転じらた放電加工業界で著名な斎藤長男さんと同期だと聞いた。 その後輩に前報で挙げた島好範氏とか小野寺(旧姓須田)融君がいる。
 島氏は岩手大を出て東北大工学部金属工学科に勤務し、のちに井上ジャパックス研究所に入った。 旧姓須田君は岩手大を卒業してジャパックスに入り、 大学で知り合った岩手県の女性と結婚して小野寺姓に変わった。 群馬県の人が岩手県の人となり、後に岩手県ソディック・メカトロニクスなる電気加工機関係の会社を つくったのも何かのご縁であろう。 今は福祉関係の仕事に転じたとの便りをもらったが、いつの日かまた会うときがあるかも知れない。

 話もどって、その晩は当然花巻温泉郷に1泊が皆さんからのお勧めだったが、 翌日の秋田県本荘市までの旅程を時刻表で調べるとかなり厳しい。 まだ若年社員心の余裕もなく、花巻を去ることにしたが、そのおかげで、 花巻が発祥の地だという"わんこ蕎麦"を未だに食べずじまいである。
 余談ながら、花巻での"わんこ蕎麦"の早食い競争が時折ニュースになる。 この2月には、5分間で186杯食べた大阪の女性が優勝したそうだが、 標準的なかけ蕎麦約19杯分に当たるそうだから、短時間にずいぶん食べられるものである。 もっとも噛んでいるひまはないと言うから、蛇みたいに呑み込むらしい。

  またまた閑話休題。それはともかく、岩手県は、私には心のふるさとのようなところである。 昭和20年7月の仙台大空襲に追われ、父が兵隊にとられて居なかったという不安感もあって 一家をあげて岩手県に疎開した。私が小学校6年生のときである。
  県南の花泉という町から入り、山間部を含む農村地帯を転々とした。 祖母の故郷が岩手県なので、その姻戚知人関係を頼ったのである。 期間的には短いものではあったが、自然に親しむ絶好の機会を与えられ、 生涯忘れ得ない思い出になった。印象が強烈だったせいか、 十数年後のこの出張旅行よりもはるかに鮮明に覚えている。

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