続・形彫り放電加工は如何にして育まれてきたのか?

佐々木和夫

8.ワイヤ放電加工機の開発(承前)と形彫り放電加工のNC化のつづき
 話し変わって、富士通の方も事態の急変に驚いたのに違がいない。ワイヤ放電加工機用のNC装置を月々まとめて買ってもらうはずが肩すかしを食ってしまったのである。突然の社長交替劇など予測も出来ない。その後、ジャパックスのワイヤ放電加工機が、納入場所から忽然と消えてしまったとの話を聞いたが、後のファナック・ワイヤ放電加工機につながるとは、まだこの時点では誰にも予想できなかった。
 余談ながら、社長を退任した金子さんは、その後商事会社をつくり、ファナックのワイヤ放電加工機を扱う代理店となった。金子さんは亡くなったが、会社は息子さんが社長になって存続している。
 さて、JAPT方式は、対話方式でやさしい、定義が少ない、キーイン数が少ないなどの特徴で、予期以上の評価を得たが、マシンの方はまだ不具合があった。時々短絡で止まってしまってどうにもならない。加工が進まないのみでなく、放置しておくと短絡停止部分にスジが付いて、品質も不良になる。

 それを解消すべくワイヤに超音波振動を加えたのが、前に述べた商品名クリアカットと呼ばれたものである。これにより短絡トラブルが大幅に改善され、加工速度も約2倍になった。これができてから何とか名実ともに無人加工が出来るようになったと言える。
 続いて、その後テーパー加工を可能にする装置が開発された。ワイヤの上部ガイドを前後左右に移動して、ワイヤを傾けて加工するものである。これはエッジカットと名付けられ、これによってワイヤ放電加工の応用面がまた一段と拡がった。
 まだ懸案の自動結線(自動ワイヤ通し)はできていないが、このへんで、先行する国産2社には何とか追いついたようである。ワイヤ放電加工機の寄与により会社の業績もこの時期からかなり回復してきたように思う。

 それまで、会社業績のメインであった形彫り放電加工機には大きな変革が生じてきた。用途の約半分をワイヤ放電加工機に奪はれたので、残る用途を底のある加工に特化していかねばならない。
 ワイヤ放電加工機により、NC化、デジタル化へのアプローチは出来たので、NC放電加工機へのトレンドはできたが、さすがに一気に進めるだけの力はなかった。何しろ、ワイヤ放電加工機が予想外の進展を見せたので、技術力もそれ相応に必要とし、形彫り放電加工機の方はかなり手薄になった。しかし、近い将来のNC化には備えて置く必要があり、油圧サーボから、モータサーボへの切り替えが行われた。底のある加工が主体になってくると、Z軸の位置のコントロールがシビアになってくる。デジタル化の最初のものは、Z軸にパルスモータを使い1段の停止からであったが、順次5段、10段とプロコン化が進められていった。

 モータサーボから始まって、ほとんどが油圧サーボになり、またモータサーボへの逆戻りであるが、すぐ問題になったのは、上下サーボの速度である。パルスモ−タのねじ送りでは油圧サーボのようなスピードが出ない。特に電極のジャンピング加工は遅くてどうにもならない。次に直流モータとロータリーエンコダーの組み合わせに変わったが、今のソデイックのリニアモータのスピードには較ぶべくもない。
 ジャパックスにおけるNC形彫り放電加工機の本格的立上がりは、かなりもたついたが、それにはワイヤ放電加工に人手を取られた以外にも理由がある。ワイヤ放電加工機のそこそこの成功に気を良くして、その先に総型電極を作らないNCフライスのような単純電極による放電加工機を夢見た人達がいた。当時の言葉では創成EDMと言った。
 私は、形彫り放電加工はNC化されてもあくまで総型電極が主流だろうと主張したが、それではNC化の意味があまりないと言うのである。皆強い人の方に味方するので、私はチャレンジ精神に欠けた保守的な人になってしまったようである。

 大変な手間ひまをかけて、EDMセンタとかJAPT13B制御装置とか三次元加工用のソフトとかが作られた。それで加工したというサンプルは、少なくても半分は総型電極で加工したもので、うそ慢性化現象で、あまり善くない。そんなこんなでもたついている間に、競合メーカーが台頭してきた。なかでも、「NC放電加工のパイオニア」の看板を掲げたソデイックの躍進は目覚ましいものがあった。ワイヤ放電加工機に重心を移してしまったジャパックスは、体制を立て直すのに時間が掛かった。このへんから、ジャパックスの業界トップの座があやしくなってゆくのである。

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