続・形彫り放電加工は如何にして育まれてきたのか?

佐々木和夫

9.NC放電加工機時代の幕開け
 昭和50年代前半は、NC放電加工機時代の幕開けとなった。きっかけの一つは、ワイヤ放電加工機の普及発展である。ワイヤ放電加工機によってNCの便利さを知り、より身近かなものにもなってきた。
 もう一つは、「NC放電加工機のパイオニア」の旗を掲げたソデイックの創業と抬頭である。晴海の展示会に出品すると言うので早速見に行った時の情景が、今でも記憶に残っている。
 我々はすでにNC放電加工機を何台かつくっており、特に目新しいわけではないが、いずれも特注品で、標準的NC仕様機の決定版はまだであった。そんなことで「パイオニア」は、少々オーバーではないかと思いながらも、強く反論するのは大人気ないと思ったようである。

 当面の目標は、前にも書いたように、人手を省くためのNC化であるが、XY軸のモータ送りによって、副次的に、優れた送り精度が得られることがわかってきた。これは大きな成果である。
 国産放電加工機は、スイス製放電加工機より精度が劣ると言われ続けてきたのは、一つはこの送り精度である。それならばとしてつくった三井精機ージャパックスは、コストパフォーマンスが悪かった。この問題が、ねじ軸のNC制御によってほぼ解決できた。

<閑話休題>
最近、アジェ・シャルミー・ジャパン設立記念パーテイーなるものがあり、JR新子安駅近くの新社屋まで行ってみた。昔シャルミーを販売していた人が、「昔は、居ながらにして売れた」とか言っていたが、確かに優劣の差が歴然としていた。追い付き追い越せが合言葉だった。
 それがNC放電加工機の時代になってから、徐々に優位性が失われていったように思う。それでもなお、アイソパルスの特許は効いていたと思うが、今は特許関係の大きい制約もなくなった。
 アジェ・シャルミー連合軍での東洋のシェアは、全世界を100にして13と言うから、昔の感覚では以外に少ない感じを受けたが、言い換えれば、国産機や東洋機の技術向上ぶりを示すもののようである。ソデイックのリニアサーボのようなものが出来てくると、外国勢はますます苦戦を強いられるような気がするが、如何なものでしょう。

 話し戻って、標準的NC放電加工機であるが、これを世の中に普及発展させるためには、あまり価格の高いものは不適だろうと言うことで、俗に簡易NCと言われるものからスタートした。今その詳細を述べても退屈すると思うが、要するに、X、Y、Zとも5ポジションとか10ポジションとかをプリセットしてポイントからポイントへ自動で移動するようなものである。
 このレベルからしだいに改良発展していったのが、一つの道筋であるが、一気に飛躍することを考えた人達も居たことは前に述べた。ワイヤ放電加工機の大躍進の一つは、電極をつくらなくて済むことである。
 しからば、その三次元版をつくろうという発想であった。しかし、三次元は二次元のようにはいかないのであった。
 常識的には駄目だと思っても、そこまでで終わると確かに新しいものは生まれてこない。別動隊の何人かがそちらの方に取り組むことになった。結果論になるが、この分散が、ジャパックスNC放電加工機制御装置の立ち遅れにつながったのかも知れない。

 当面のNC放電加工機は無人で加工するのが目的だから、異常放電を防止し、加工の安定を計らねばならない。この方が、放電加工技術者には奥の深い面白い課題であった。
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