形彫り放電加工は如何にして育まれてきたのか?

佐々木和夫

12.番外編(その2)
モスクワから、ヨーロッパ数ヵ国、およびインドを経由して帰ったので、主題とは少し離れるが、「閑話休題」と言うことで、当時、印象に残ったことの一部だけ、メモって置くことをお許し願う。

[モスクワを知らずにモスクワ案内をやった話]
 見本市会期半ばに、東京工業大学の先生が私を会場に訪ねて来られた。ジャパックスの金子常務(故人)から「モスクワを案内してもらいなさい」と言われて来たと。後に東京工業大学の学長になられたセラミックの権威、斎藤進六先生(故人)である。学長になるとは当時ご自身すら知るはずもない。こちらもホテルは郊外だし、見本市の準備もあったので、ご案内するほど市内には出ていない。
 ともかく、相棒の西島さんに後を頼んで、市内に向かった。観光のメインはやはり「クレムリン」「赤の広場」などである。歩き疲れて入った最寄りのカフェテリアで、大きなアイスクリーム(マロージノエ)を食べた。モスクワ名物で美味しい。夕食はホテルのレストランでだが、妙にこのマロージノエの方だけ印象に残った。
 それ以来、斎藤進六先生−マロージノエとなってしまったので、後年、虎ノ門の未踏科学技術協会でお目に掛かった時お尋ねしたら、「覚えてますよ、そんなことがありましたねえ。」とのことだった。未踏科学技術協会の理事長もそう長くはなく亡くなられてしまったのは残念である。長岡科学技術大学の学長を受けられたり、公職ご多忙で、健康を犠牲にされたとか。


[モスクワお別れパーティーのこと]
商談の方もほとんど終わったので、我々グループの残留者10人足らずで、お別れ会をやることになった。確か8月9日のことである。モスクワ河に張り出したオープンレストランでやったのが失敗だった。寒くて震えが止まらず会話もままならない。もう初冬の気温である。ついこの間まで、公園では女の子たちがビキニの水着でバレーボールをやっていたのが嘘のようだ。「ウオッカ、ウオッカ」の合唱が起こった。震えを止めるにはこれよりないようだ。モスクワの女性たちも好んでウオッカを飲むのが理解できる。最初はコップで水を飲んでいると思っていたが、ウオッカのストレートだとのこと。震え止めにピッチも早かったから、酔うのも早い。皆ずいぶん騒ぎまくり踊りまくったようである。飲んで騒げば寒さも吹き飛ぶが、胃や肝臓の方をケアしないと、危険千番である。強い酒には日本人の内臓弱いらしい。後日、スコットランドの人とスコッチを飲む機会があり、氷を入れても邪道呼ばわりされたが、体質が違うんだから仕方がない。
 ここの勘定約80$ジャパックスが負担したと手帳にある。そういう意味では皆さんに大変お世話になったささやかな感謝の気持ちだったようである。


[デュッセルドルフで真夜中の徒歩ライン河下り]
せっかくのドイツに来たんだから、いろんな地ビールを飲んでやろうと張り切った。一泊だけの予定で、明日は出発である。ホテル備え付けの市内地図をポケットに夕方早めに出掛けた。
 ともかく大きいビヤホールでソーセージをかじりながら、大ジョッキを何杯か傾けた。初対面の客どうしでも和気あいあい、人生を楽しく送るコツのようである。隣が女性客であれ、同じテーブル肩組んで歌うなど当時の日本では考えられなかった。もっともこっちは口をパクパク、何かわめいているだけだが。欧米での生活が楽しいと言う人にはこのへんのところが大いにあると思う。
 一晩だけのドイツ、思い残すことなくビールを飲もうと言う気があるから、1軒2軒では物足りない。酔いにまかせて、行け行けドン・ドン・キホーテになってしまった。でっかいライン河が流れていて良い目印もある。昼飯はその河畔のレストランで食べた。
 さあ、そろそろ帰路につこうと思って、地図を眺めライン河に向かったが、どこかで道を間違えてしまった。10時過ぎになっていたかと思う。通り掛かったおばさんに街灯の下で、現在位置を地図に示してくれるよう尋ねたら、地図の外数cmの空間を指し示すではないか。
 ドイツ語でいろいろ教えてくれたが、自慢じゃないがロシア語よりもわからない。かなり郊外に出ていて、タクシーなど影すらない。後はひたすらライン河を探すだけである。方角だけは確認して、とにもかくにも何とか河に辿り着き胸を撫でおろした。
 対岸は、はるか彼方にかすんでいる。岸辺にはさざ波が打ち寄せて、その波音以外は何も聞こえない。目の届くところ人影はまったくない。安心して、この壮大な流れを寸時水洗トイレにさせてもらった。星明かりで見る大河は雄大な水墨画の趣があった。ひたすらラインを歩き下った。このライン下り、やりたくてやったわけではないが、墨一色の風景は今でも忘れない。ホテルに着いた時は、すでに日付が変わっていた。


[インドのホテルで水害にあった話]
ヨーロッパ旅行中は、ミドルクラスのホテルでも充分満足だったので、ボンベイでもその延長線上に考えたのが認識不足だった。朝起きたら部屋中が水浸しである。配水管の漏れだそうで、トランクをうっかり床に置いたのが不運。各地で買い集めた珍しいタバコなど廃棄処分。アルバイトで来ていたモスクワ大学の美人学生にもらったサイン入りの記念のアルバムが染みだらけになったのは特に悔しい。
 現地商社の車で、郊外のユーザに向かったが、ラジェータの水漏れでオーバーヒート。道端の田んぼから水を汲んで入れていたが、そんな茶色の水入れても大丈夫? 床に穴があいて道路が見えるような車だから気にしなくても良いか。物質文明の国と精神文明の国とはいろいろな違いがあるとでも言うことにして納得し、ノンアルコールの国を予定より早めに脱出した。

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