金型メーカ訪問記 -7-

YJS・渡辺利広

−(有)久保田精工様
今回は群馬県太田市の精密プレス金型の設計製作メーカ、 (有)久保田精工様へおじゃましました。久保田社長にお話をうかがいました。。

< 渡 辺 >
金型メーカを始められたのは、いつ頃ですか?

< 社 長 >
昭和45年です。それまで2〜3人の金型屋に務めていましたが、24才の時独立して今の会社を始めました。

< 渡 辺 >
独立されたきっかけは?

< 社 長 >
上司に頭をさげるのがいやだったからです。それと共同でやるのではなく自分の最大限の力をためしてみたかった。

< 渡 辺 >
当時は、どのような場所でやってみえたのですか?

< 社 長 >
自宅の母屋を壊して工場にしていました。設備としては、ボール盤、セーパ、旋盤、コンタマシンを借金をして揃えました。120万の借金を、5年の返済計画を立てていましたが、それを1年で返済しました。

< 渡 辺 >
当時はたいへん忙しかったわけですね?

< 社 長 >
サラリーマンの月給が約18,000円の時代に、開業したその月の売上げは、75万でした。その代わり20時間働きました。その場所では、1年半ほどやっていましたが、その後、別の場所に土地と工場を購入しました。

< 渡 辺 >
会社を始められて、何がよかったですか?

< 社 長 >
ゴルフがいっぱいできた事かな?(ハハハ)

< 渡 辺 >
NC工作機械の導入は、いつ頃でしたか?

< 社 長 >
ジャパックスのワイヤカットを約20年前に購入しました。月商が、250万の時に、ワイヤカットと自動プロを合わせて4,000万円出して導入しました。その当時は、賃加工だけでも300万の売り上げがありましたから、買うことができました。当時、時間あたり15,000円ぐらいだったと思いますので、たいへん儲かりました。

< 社 長 >
金型製作は、職人による金型作りから、コンピュータによる製作に変わり、今では、韓国などの諸外国に仕事をとられている現実です。諸外国の金型メーカに対応するには人件費などを含め、日本の金型産業のなかで、どのような革命をおこすかです。

< 渡 辺 >
どのような対応ができるでしょうか?

< 社 長 >
人件費を今さげるわけにはいかないし、無人化や簡単な設計をいかにするかを考えるべきだと思います。私は、日本人の人件費をさげるべきだと思います。価格を30%さげて人件費を50%さげれば問題ないと思います。現在の日本の金型メーカの脅威は、韓国です。それは、日本のメーカが韓国の金型メーカに対し、同じ事をさせているからです。現実に日本の金型メーカより安価な価格を提示する所があるので日本もそれについていくしかないと思います。
有限会社久保田精工

有限会社久保田精工

有限会社久保田精工

有限会社久保田精工

有限会社久保田精工
< 渡 辺 >
これからの経営方針としてはどうでしょうか?

< 社 長 >
日本国内の仕事を減らして海外の仕事をいかに受注していくかを考えています。現在6:4(海外)を逆にしたいと思っています。数年前に海外に進出しないかと、さそいがあったが、行かなくてよかったと思います。1人1人が技能職の金型ではペイラインにならないと思います。将来は日本に仕事がある限りは、息子にあとをやってもらいたいと思います。今期年商2億5千万円で無借金経営です。だからいつでもやめられると思っています。最近若い人が面接に来たりすると、「うちは、3Kの巣だよ。」といってあげるとすぐに帰ってしまいます。電話は、毎日かかってきますが、「今、人を募集してるの?」と聞いて来るのがいるので、私は、「うちは、人は募集していますが、おまえみたいなのは募集していないよ!」と言ってあげます。親に話すような感じで電話をしてこられては、どうしようもない。私が、毎日20時間ぐらい働いて買った車と同じような車に若い人が乗っている。最近、イギリス人が来て言っていました。「日本は、すれ違う車すれ違う車、すべてが高級車だ。」と。

←前へ    目次    次へ→

Copyright(C) 1999-2007 by YJS All Rights Reserved.