続・形彫り放電加工は如何にして育まれてきたのか?

佐々木和夫

7.ワイヤ放電加工機の開発
 ワイヤ放電加工は、標題とは違うのでネグってしまおうかと思ったが、今後の話にいろいろと関係してくるので、簡単に述べておこうと思う。
 記憶の良い読者はこの短信に[ワイヤ放電加工機は何故できたか?]なる題目で数回に亘って連載したのをご記憶と思うが、それにこの形彫り放電加工が横から割り込んで、早やすでに2年になった。よく続けさせていただいたものである。こんなつたない文章を読んでいただいている読者にも感謝している。
 そんなわけで重複を免れないが、何しろワイヤ放電加工は、形彫り放電加工機の需要を半分以上食い荒してしまうという大変革を起こした技術であり、その後の形彫り放電加工機に与えた影響はかなり大きかった。

 それまでの放電加工機は、約半分がプレス抜き型などの貫通する加工に使われていた。2次元の加工とも言われ、電極の消耗を許しても、加工能率の良い条件が選択された。その用途が順次ワイヤ放電加工に移行していったのである。
 ジャパックスは、ワイヤ放電加工に関しては何故か着手が遅れた。西部電機や三菱電機に先を越されて、嫌気がさしたのかも知れない。それに、プレス抜き型などの形彫り放電加工技術がほぼ完成し、高精度の加工も可能になっていたので、その時点ではワイヤ放電加工を軽視していたのではないかと思う。
 私自身もワイヤで切断したままのオスメスをそのままプレス抜き型に使うと言う先入観があり、別々に加工する発想には思い至らなかった。モスクワでの最初の印象が強かったのかも知れない。

 ようやく具体化したのが、金子さんが社長になってからで、火曜日の定例会議の席上で、IJRに開発委託したことから始まったと思う。
 その場で、確か当時技術部次長だった、かの私にワイヤ放電加工機の後発をカバーする何か特徴を考えろと言う指示があった。期限は1週間と言うのである。そこで、前々からワイヤ放電加工のことを話題にしていた当時富士通の大間さん(現富士通オートメーション)に会ってお知恵を借りることにした。
 お互いの帰り道である武蔵小杉駅近くの喫茶店で待ち合わせた。コーヒーをすすりながらいろいろ考えた末、ワイヤ自動送りのアイデアをいただいた。金型には加工箇所が何箇所もあるが一々手で通すのは夜中など大変だと言うのである。順送型のようなものがすべて無人でできたら素晴らしい。加工液が水なので夜中無人でも火災の心配がない。

 当時、富士通ではNC制御装置に力を入れており、ワイヤ放電加工とは当然ながら結びつく。富士通の大間さんたちからは「ジャパックスはなぜワイヤ放電加工機をやらないんだ?」と言う意味のことを言われていたかと思う。
 翌週の定例会で早速「ワイヤ自動送り」を提案したが、結果は散々であった。「そんなこと出来るわけがない」と言うのである。井上さんは表現が実に豊かな人で、「裸足でお月さんを取るようなことを言うな!」とおっしゃる。竹竿でも持って屋根に登ってやろうかと思ったりした。
 たまたま数日前、放電加工機の製造をお願いしていた浜松の遠州製作所に行った。工場を案内してもらった中に、織機のテストをやっている所があり、ウオータージェットで糸を飛ばしているのを見学した。その光景と結び付き、「ウオータージェットでは如何なものでしょう?」「糸と針金とは違う」確かに糸と針金は違う。「もっと具体的に可能性のある方法を考えてみろ」と言われたようで、またもや宿題になってしまった。技術部の人間を中心にして、当時流行のブレーンストーミングもやった。しばらくは寝ても覚めても、ワイヤを小さな穴に通す方法を考えていた。

 その一方で、研究所の特許部が、何通りかの特許出願書類を準備していた。そんなわけで自動結線というかワイヤ自動送りのウオータジェットを利用する方法の特許申請は比較的早かった。しかし、人間の考えることは世界中あまり変わらないらしく、残念ながら外国の特許が一足早く、もっと基本的なところから押さえられてしまった。
 それもそのはず彼等は、ワイヤ放電加工機を商品化したのがずっと早く、応用加工上の問題点や要望事項などは熟知していたことと思う。我々は如何にせんワイヤ放電加工機の本体もまだ造ってないのにオプションを考えたのだから具体性に限界がある。
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