形彫り放電加工は如何にして育まれてきたのか?

佐々木和夫

5.プレス抜き型加工へのアプリケーション
 現在、プレス抜き型の放電加工については、ほぼ全面的にワイヤ放電加工に切り替わって型彫り放電加工でやるのはごく限られたものしかなくなった。
 そんなわけで、型彫り放電加工によるプレス抜き型の加工は、すっかり過去の技術となってしまった感がある。今の人は、プレス抜き型の型彫り放電加工をほとんど知らないのではなかろうか? 今やれと言われても自信を持ってやれないのではないかと思う。大体、電源も底付き加工に特化されて、抜き加工は、やりにくくなった。
 しかし昭和30年代前半では、今のワイヤ放電加工の影も形もない。数値制御など、まだ著についたばかりで、池貝鉄工も倣い旋盤主力の時代である。型彫り放電加工の用途の半分以上がプレス抜き型の加工であったし、その座がワイヤ放電加工に奪われることなど当時は夢想すらできなかった。

 真鍮電極で単純にダイを加工する間接法と称する方法から、ポンチの先に銀タングステンとか銅タングステンとかを接合し共研磨したものでダイを加工する混合法と称するものになり、さらにポンチそのものでダイを直接加工する直接法と称するものも富士電機より報告された。我々も追認テストをやってみたが、鉄で鉄を加工するとプラス極よりマイナス極の方が多く減るというのも、今までの常識をくつがえす新しい発見であった。
 余談ながら、現在は鉄・鉄の消耗率が2%までいけるそうで少々驚いた。今年の3月のある日、東北放電技研の郷古社長を伴って、ソディックのショールームを見学させてもらった。加工技術の中島部長に案内していただいたが、そこにあったサンプルが鉄電極の低消耗である。実は30年程前に「将来のEDM」と称して夢のようなことを書いた。鏡面仕上げとか極微消耗とか、鉄を電極に利用するとか、今やほとんどが実現してしまったようである。

 当時、当然ながら、より高い精度、より能率の高い方法、よりコスト効率の高いことを目指して、いろいろな加工テストが繰り返された。特に電極消耗の問題は重要課題であった。電極をつくるには、電極必要長さの指導もしなけらばならない。
 これに取り組んだ両先輩が三水さんと二村さんである。三水さんは徹底的にプロジェクタ写真を撮って消耗形状を解析しようとし、二村さんは実験式をつくろうとした。三水さんの撮った写真の乾板(フィルムでなかった)は保管場所に困るほど溜まりに溜まった

 二村さんの実験式は、私も手伝って一晩でデッチ上げた。ある日、「今晩付き合え」と言われて自宅に連れて行かれた。飲もうというのではなく、計算処理を自宅で密かにやろうというのである。早速、持ち帰った実験資料から、手分けして計算をやりはじめたが、ファクターが多くて休みもとらずに朝まで掛かった。今のようにパソコンがあれば簡単と思うが、関数電卓すら高くて買えない時代である。一睡もしないのはさすがにきつい。奥さんの心尽しの朝食よりも、正直一睡の方が有り難かったが我慢した。お互いに出社しても平然として何事もなかったように振る舞っていたかと思う。眠そうにしたら徹夜がばれてしまう。実は、私も先輩のお陰で、徹夜なるものに自信をつけ、一睡もしない徹夜を頑張れるようになったと思う。
 この実験式は、多くの文献に二村氏の「電極必要長さの式」として引用され、結構有名になった。この式は現場で実用するというよりは、電極必要長さを決める因子と傾向を示すためのものである。実験式だから使えないことはないが、関数電卓がないと計算が面倒である。ともあれ、傾向を示す式としては立派に役目、を果たした。

 ついでながら現場的に役立ったのは、松下電器の牧野さんという人の提案した方法で、計算というほどの煩わしさもなくわかりやすいので、時々説明用に利用させていただいた。要するに電極に有する角度のファクターがわかれば、必要とする長さの見当がつく。ところで、二村さんのお宅からの連想であるが、日本放電加工研究所当時、社内大会で私は2つ優勝した。大して自慢になるような話ではないが、将棋大会とお汁粉大会である。将棋は全員に飛車落ちで9勝1敗、古谷氏に不覚の一敗を喫して残念ながら完全優勝を逸した。
 お汁粉大会は7杯でトップ。これが二村さんの自宅で行われた。誰が発案者かは忘れたが、女性には違いない。あずき、砂糖、餅などをしっかり買い込んで持参した。ところで、2番手は本命の女性(匿名とす)で5杯だから、6杯で止せば良いのに、最後の大釜の底のドロドロまで平らげてしまった。その後の二村家心尽しの夕食も残さずに食べたから、大したものである。男性は大体3杯が多い方で、もし、馬券をつくっていたら、大穴のところだった。子供の頃お汁粉8杯に餅16個の記録があることなど恥ずかしいから黙っていた。今度お会いしたときには渋谷のお汁粉屋に行きましょうか?

 話し戻って、プレス抜き型の加工であるが、ユーザサイドの工夫考案もあり、普及発展に寄与した「放電加工技術研究会」の働きもあったか、技術的には世界でもトップレベルに達していた。と言っても細かいことまで上げれば問題は山ほどあった。
 間接法、混合法、直接法などと勝手な名前はつけたが、本命は混合法で、圧倒的な比率を占めていた。この加工法では、オーバーカットがダイ・ポンチのクリアランスとほぼイコールである。加工条件的に比較的やりやすいのはオーバーカット0.02から0.04あたりで特にダイ・ポンチのクリアランスの小さい方が難しかった。そこで4番目の加工法が登場し、誰かが2次電極間接法と名付けた。オス電極からメス電極(2次電極)をつくり、2次電極でポンチまで放電加工でつくる方法である。

 この2次電極間接法をうまく使うと、ダイ・ポンチのクリアランスを限りなく0に近付けられるが手間が掛かる。そこで、共研磨した電極部分だけはずし、エッチングにより減寸して1回り小さくしてダイを加工する方法などが提案された。これは富士通の大間さん(現富士通オートメーション)に放電加工技術研究会誌の原稿としていただいた。エッジのない電極で、切、れ刃がわずかでいい場合は、完全に抜け切らないで止める方法もある。ただしこの方法はタイミングが微妙である。ちょっとタイミングをはずすとアウトなので立ち会いテスト加工の時などは祈るような気持ちである。ある時、外国からの大切な客が来るというので、その準備に追われていた。このゼロクリアランスの離れ業も見せて、印象づけようということになって、前日、練習のために私は徹夜覚悟である。当時池貝から出向して来ていた和泉さん(現ジャパックス社長)が対応の責任者で、一緒に徹夜の覚悟である。他のアイ、テムもあって、まだ誰か居たと思うが記憶に定かではない。

 ともかく、早くストップすれば抜けないし、遅ければクリアランスが大きくなってしまう。一瞬のタイミングが勝負では神経が疲れる。そこで一計を案じ、保険をつけることにした。一つ良く出来たのを濁った洗い油の中に沈めて置く、表面からは見えない。これで安心、あとは説明するまでもない。
 当日は、目の前で加工し、洗い油でていねいに洗ったサンプルが披露された。ダイに押し込むようにして入るポンチに感心しきりであった。サンプル加工の裏話は、他にもいろいろあるが、いろいろ迷案を思い付く人があって面白い。時効だから言えるので、順次思い出したら紹介しましょう。

 順送型などのテストも持ち込まれるようになったが、電極個別に加工すると位置合わせが難しい。全形状いっぺんに加工する方向で勧めたのは良いが、加工時間が掛かるし、温度変異が心配で途中で止められない。とうとう1週間ノンストップで加工する羽目になったものがあり、交代で寝ずの番をした。安定加工継続中は居なくてもいいと思うが、万が一のことがあったら大変である。朝来たら会社がなかったとなったら悲劇である。実は数年後に放電加工機からの火災ではないが、それを実際に経験する羽目になる。順を追って書いておきましょう。
 当時は灯油を使用しており、その中で火花を飛ばしているので、安全という保証は誰にもできない。現に火災事故が時々発生していた。それもまるで予測のつかないアクシデントもある。浅草のH鉄工の例は、最初は夜中も人が付いていたが、大丈夫そうだと夜間無人運転をやりはじめた。ある日、誰かがうっかりして帰りがけに加工液ポンプをオフにしてしまったそうで、徐々に液面が低下して引火した。近所の人が119番し大事に至らず消し止めたそうだが、私も呼び出されて、消防やら警察やら一騒ぎだった。

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