続・形彫り放電加工は 如何にして育まれてきたか? |
佐々木和夫 |
●超精密放電加工機の開発の続き |
加工液供給装置にも少し金を掛けた。フィルター能力と、クーリングの能力とを高めたのだが、そのため、大きさも標準機よりかなり大きくなってしまった。大きくなったもう一つの理由は、機械本体との配管に無理がいかないように、特別な配慮をしたためである。準備完了して、テスト加工ができるようになった。何と言っても大きい特長は、テーブル送りのハンドルが極めて軽快なことである。もっともそうでなければ、0.1 ミクロンの光学式リーダーを扱うことができない。新聞発表、展示会、プライベートショーなどを通して、PR活動および販売活動を始めたが、価格が割高なせいもあってか受注が思うようにいかない。テーブル送りの高い精度を狙ったので、オーバーハングを避けるため、加工槽がかなり小さくなったのも割高感を大きくしたかも知れない。神奈川、静岡、長野、富山あたりからの受注はあったが、なかなか台数が伸びていかなかった。台数が伸びないので価格も下がらない。ラムガイドのかじりの問題などがあり、機械系の問題点対策には金が掛かるで、逆に値上げの要望が来てしまった。月5台に魅かれて始まったが、思うように売れないので、ブレーキが掛ったということである。
三井精機側の技術担当者O次長が急死されると言うアクシデントもからんで、止める方向に追い打ちをかける結果になった。「もっと安ければ買うが」と言う引き合いの状況で、値上げは止めると言うに等しかった。 どうするかの判断に当たって、既納入ユーザーの評価を改めてチェックしてみた。特に親しくさせていただいた富山県プラスチック金型工業会幹部のM社長さんなどには過分なお褒めもいただいた。「精度のうるさい加工はこの機械でしかやる気がしない。他の機械が空いていても、この機械のあくのを待っている」2台目が欲しいようなお話であった。 納入先では概ね好評のようであったが、早急に受注台数を確保すると言うのは難しかった。そんなわけでこの機械の生産継続は惜しいが断念せざるを得なかった。結局、放電加工で高精度の加工をするには、電極精度とか放電加工で生ずるオーバーカットの読みとか、電極消耗比とか、機械精度以外のものがかなりあり、それが揃わないと精度の高い加工は出来ない。言い方を換えれば、高価で高精度の機械を買っても、それだけでは高精度加工が出来るとは限らないと言うことである。 逆にまた周辺技術があれば、標準機レベルでも、そこそこの高精度加工が出来ると言うこともわかってきた。それと発展途上のNC放電加工機が精度の点ではかなり良い結果を出して、ねじ送りや光学式読取りやマグネスケールなどに替わろうとしていたのである。 この精密放電加工機の結果については、後に社長になった井上さんに、企画の失敗として何回言われたかわからないが、不明の致すところで返す言葉がない。稟議書類には皆さんの判が押してあるなどと言ってみてもはじまらない。言い出しっぺの責任はある。 その点、大手企業から来たKさんには、自分の責任にならない要領をいろいろと教わった。減点主義の世界では、リスクのあることを自ら企画提案はやらないことである。職務上やらなければいけないとしても、他から言われてやむを得なかったような証拠書類を残して置くのである。少し脱線する。 その書類の書き方もいろいろ教わったことがある。読んだ人がどう思うか?証拠書類として効果的か?に主眼を置いて書くのであるが、本音をかくして建て前を書くのも結構訓練がいる。何回も直されて2〜3枚書くのに日曜日に出てきて夜まで掛ったことがあった。漢字一つでも間違ったらうるさい。大企業では、そんな文書だけでしか評価されない上下の関係があるのであろう。 私がなかなか思うような文章を書かないせいか、Kさんが書いて名前だけ連名になっている文書があるのには驚いた。自分が思っているような文章を書かせるよりは、自分で書いた方が早いと言うことである。それはサービス体制について書いたものだった。 それが後にひと騒ぎ起こしたのである。その当時のサービス部長の阿部さん(第1号放電加工機の設計者で、後にソデイック小会社S&Oの社長)が、サービス員の増員のため、そのKさんの文書(その後改訂されてKさんの単名になった。)を持って、担当役員のKさんのところに相談に行った。 社長も交替して、増員ならずと事情が変わっているのに、自分の書いたサービス必要要員16名の資料を突き付けられて、増員を求められては怒るしかない。大声で「出て行け!」と言ったとか言わないとか。追いかけて大阪営業所行きの辞令が出た。その穴を私に埋めろと言ってきたが、私も、ここでサービス部長とともに後に大阪行の切符を同時に手に入れることになろうとは夢思わなかった。Kさん直伝の保身術には物差しが合わない。おかげで大阪に単身赴任してカラオケなどやるようになったから人生いろいろである。 |