放電加工補遺物語
連載約5年の弁と近況報告(2/2) −
 連載をはじめたら、それなりの反応もいただいた。 読者の反応が励みになってまた続けようという気になる。その点もカラオケと同じだなぁと思う。 お世辞でも拍手をいただくとまた歌う気になる。やめさせようとしたら無視すればよい。
 文章を書いても読んでくれる人がいなかったら張り合いがない。 その点YJS短信は私には格好のメディアだったと思う。 お陰様でこの5年間で文章が少しはましになったとの評価もいただきありがたいことである。
 作文をやり始めたら、誰しももう少しましに書けないものかと思う。 そこで私も"いい文章の書き方"みたいな本を何冊か買った。 図書館にあるその種の本も何冊か借りて読んだ。 それらの本の、とどのつまりは"いい文章を沢山読みなさい"とくる。 ごもっともなことである。著者名とか著書が列記してある本もあった。

 私はもともと読書が好きだから、そんな参考になりそうな本は大体読んだ。 事務所に女性が入ってからは、外出もできるようになり、 渋谷の中央図書館も時々利用させてもらった。 原宿駅から3分くらいのところにある5階建ての立派な図書館で、蔵書が15万冊あり、地域の人には幸いである。
 推薦された著者なり著書にはさすがにその才能には感心するが、 プロの歌を聞いたからって、カラオケが急に上手になれるわけではない。 もって生まれた才能が違うんだから、まあマイペースでボツボツ行くしかないようである。
 参考のため、無名なアマチュアの人の本も結構読むようになった。 プロの作家とは距離が離れ過ぎているが、アマチュアの方が親近感を持てると思ったからである。 アマの人のドキュメンタリータッチの本が結構面白く、何十冊か読んだ。

 私の囲碁仲間の一人が自分史を書き上げたので読んでみろと言う。 その人の個人情報にさほど興味がなく、しばらくは断っていたが、 文章作法の観点から読んでみる気になった。 書いた人の、読んでもらいたいと言う気持ちがわからないでもない。
 百数十頁におよぶ手書きの力作で興味深く一気に読んだ。 普段のお付き合いからは想像もできないような過ぎ去りし日の波乱の人生が記述されていた。 この世に生きた証しと言うか人生の足跡と言うかは私も書き残したいと思うのでそれなりに参考になった。
 ただし、その人は自分史を書くに当たって、文章の書き方を学んでいる様子はないから、 細かいところでは、私なりに添削したいところがいろいろあるが、 出版するわけでもないし、チェックを頼まれてるわけでもないので特にコメントはしなかった。

 私も自分史を最終的にはまとめてみようと思っている。 その断片断片をこの連載を利用して書かせていただいた。 今からの人生、何かしら人の役に立つことをしようと思ったら、 その手段の一つとしては文章つくりかなと思ったりしている。 生きているうちに何か一つ二つ本にまとめようとするのが生きがいになるかも知れない。
 そんなことに備えて、充電の一助にと、地域の成人学級の社会学講座にも参加してみた。 私よりも年上だと思う人達も多数来ており、何かを学ぼうとしている雰囲気が良い。 "老にして学べば死しても朽ちず"高名な儒名の言葉を達筆で書いたものを参加者の一人が持ってきてくれた。 残り少ない人生、何かを学ぶことも楽しみの一つである。
(おわり)

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