放電加工補遺物語 |
− 自動車産業と放電加工[5](2/2) − |
大面積の15トンもあるものをサーボしようとしたら、かなり剛性の高い強固な機械が要る。
大型プレス機械をイメージしてパートナーとして可能性のあるところを打診して歩いた。
幾つかの候補が上がったが、結局資本力の大きい川崎重工業傘下のK油工に決まった。
技術提携打診の過程では静岡県のF鉄工やA鉄工などが多大な関心を示したが、 それらの中小のプレスメーカには日産自動車のK課長が難色を示した。 技術力や信頼性が不足という見解である。 K油工との業務提携が決まり、打ち合わせが始まったが、兵庫県の加古川だから、 在来線に乗換えを要し、1日で往復するのは結構大変だった、何しろ、 「放電加工とは何ぞや」からはじめて、機械を構想し、 コストを算出すると言う作業をしてもらわねばならない。 加工液にドラム缶数十本の油を使うから消防法も考慮しないと許可にならない。 先方からも何回か来てもらって、何とか見積書、見積仕様書をつくって日産自動車に持って行ったが、 行く度に新たな問題を提起されて往生した。 例えば15トンの懸垂重量が機械の中心からXの距離、偏荷重になった場合の機械の歪みは? と言う具合に難題を出してくる。設計もしていないのに計算しようがない。 CADは一般的でない時代である。 結局は三菱に決まった。実績があるからと言うのが最大の理由である。 最初からほとんど決まっていて、駆け引きに利用されたのかも知れない。 そんなK課長の言動であった。大手企業には大勢の中の何人か、業者に高圧的な態度の人が居る。 官庁などにもよく居るが、企業や官庁のイメージダウンに貢献している人たちではある。 当時の日産自動車には、別の工場にも明らかに企業イメージをダウンさせる人がいた。 受注にからんで接待や金品を要求するのである。 官庁で言えばノンキャリアみたいな人であるが、要求をあからさまに言われたときはさすがに唖然とした。 間もなく子会社に出向になったと聞いたが、職場でも問題になっていたようである。 昨今の外務省ではないが、悪い伝統として受け継がれてきたものであろう。 いずれ新しい血を入れて改革しなければいけなかったのである。 そんなわけで、日産では失注したが、その過程で構想をいろいろ練り、 K油工では何件かの特許まで申請した。 せっかく時間を掛けたのだから、それを他のメーカで活かせないかということになった。 そうなれば真っ先にはトヨタである。 K油工側も乗り気で、共同で大型放電加工機の説明会を開いた。 ジャパックスからは井上副社長(当時)ほか、川崎油工からはB常務ほか、 トヨタからは放電加工に関心の高い楠常務(当時)以下部長、 課長クラス含めて十数名という盛大なものだったが、結局は電極製作などに問題があり、 期はまだ熱さずということになった。 その時点でのその冷静な判断は正しかったと思う。 仮に自動車用の大きい電極ができたとしても、放電加工による、 熱変形を抑えることはかなり難儀なことである。 それに大きい面積の放電加工では極間からの発生ガスと加工くずを排除するのも難題である。 日産のK課長との打ち合わせの過程で、"電極には何か所かガス抜き穴が要るでしょう"と言ったら、 "その部分がキズになり、ルーフなどの板金に転写されたら、ほかに売れないから、 その型で出来た車を全部ジャパックスで買い取ってくれるか?"ときた。 電極つくりや加工方法はユーザ側の問題だから、 メーカは仕様書通りのものをつくれば良いと言はれればそれまでだが、 放電加工の原理に耳を傾けないようではうまくいくはずがない。 放電加工をよく知らない方のために少し説明を加えよう。 展示会などで放電加工メーカの小間に行くと、加工したサンプルが並んでおり、 無噴流でこれだけの均一な面が加工できますと言うのがある。 当然ながら面積が大きいほどアピールする。 面粗さとの関係もあるが、10cm角もあれば誇らしげである。 面積が大きくなるほど難しいので、サンプルがなかなかつくれない。 車の屋根の大きさなどは想像を絶する。 結論的には、このプレス金型加工用の超大型放電加工機は、 当初の意図を達成できずに終わった。 うまくいかないことがはっきりするまでの数年間は騒ぎが続いていたが、 導入したユーザから我々にまで、"何か良い電極は出来ませんかね?"と言ってくれるようになっては終焉である。 その後、超大型放電加工機の話はほとんど出なくなった。 |