放電加工補遺物語
− 自動車産業と放電加工[3](1/2) −
 昭和50年前後だったと思うが、トヨタ自動車で、車ならぬ放電加工の電源をつくったという情報に少々びっくりさせられた。 精機学会(現精密工学会)の講演プログラムで、発表者が我が後輩の精密工学科卒のT氏であることを知った。 エレクトロニクス系の学科でもないのに放電加工電源などよくやるものである。
 放電加工に関心の高いのは大いに結構なことだが、何で製品を何台もつくったのか不思議で仕方がなかった。 自動車メーカの片手間でそんないいものができるとは思えない。 後日、その疑問を直接T氏にたずねてみた。 彼曰く「放電加工機のメンテナンスを社内でやるために、それなりの知識が要る。 知識を得るには、つくってみるのが一番手っ取り早いと思った。」のだそうだ。 そのまま真実とは受け取りかねるが、それだけ放電加工機の故障が多かったのは確かである。

  当時、コンデンサ電源方式放電加工機がかなり設備されていたので、 それを自社製のトランジスタ低消耗電源に切り替えようと企図したのだろうと思う。 傘下の企業を含めたら、イニシャルコストが掛かっても多分ペイすると考えたのであろう。
  ところが、容易に予測できた通り、大手企業では人事異動が多いから、 携わった人たちが後年ばらばらになり、まったく別の仕事についてしまった。 もともとトヨタに放電加工電源グループなどと言う継続的な組織があるはずもない。 故障しても修理がままならなくなって、使用中の部署や系列会社は困った。
  系列会社アイシンに行ったとき、トヨタから言われて1台入れたが、 故障してもなかなか修理してくれないので、 ジャパックスの電源に換えたいから見積り頼むと言う話があった。 おそらく当初はメンテナンスフリーを目指したのであろうが、車のようにはいかない。 参考までに電源内部を見せてもらったが、手作りのプリント板にジャンパー線などが飛び交って、 どこかの試作的電源に似ていた。

 車は確かに過酷な条件で使っても故障が少ない。 それとの対比でよくお叱りを受けた。 そんなことから、トヨタ社内でつくってみようと思ったのかも知れない。 うまくいけば傘下の会社に製作販売をやらせることもできる。
 結果的には失敗だったと思うが、そのチャレンジ精神には敬意を表したい。 T氏とはその後、異動した先の開発担当の部署でお会いした。 「新車の立ち上がりを早くするのに、ルーフなどの板金プレス金型の工期がネックになっている。 工期大幅短縮の方策を開発してくれるなら百億円は出せる。」という話があった。 社内で話題にはしてみたが、残念ながら百億円はもらい損ねた。

 さて、特にトヨタに限ったことではないが、故障でお叱りを受けた例は枚挙にいとまがない。 そのなかでも知多半島の愛知製鋼とか大同特殊鋼は特別印象に残る。 大型の鍛造型の放電加工は加工除去量が多いため、 100Aから500Aクラスの電源をフルパワーで、しかもフルタイムで使用することが多い。 その上に使用環境も決して良くはない。
 条件が過酷であればそれなりの対処が必要だが、それだけに経験的知識や、 パーツの信頼性とかがまだ不足していた。放電は過渡的な現象であり、 一般的なデータは参考になる程度で、あまり実際の役には立たない。

 トヨタの傘下の愛知製鋼も私が最初の頃から技術指導に行った会社である。 新卒のKさんが担当して、鍛造型の放電加工を初歩から立ち上げていった。 その後に、現場よりの若い好青年Hさんにバトンタッチされて、 Hさんとは愛知製鋼では最も長いお付き合いになった。
 鍛造型放電加工の分野では、一歩も二歩も先行していたジャパックスだが、 徐々にシェアを落としていくなかで、この愛知製鋼は、 HさんやKさんのお陰で約10台までは他社に譲らないできていた。 欠陥開発商品を納入して入れ替えるなどのピンチはあったが何とか乗り越えてきた。

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