放電加工補遺物語
− 自動車産業と放電加工[1](2/2) −
 本格的電極低消耗電源時代に入って、ジャパックスの立ち遅れが歴然としてきた。 コンデンサ方式電極低消耗電源GXでは、トランジスタ電源に及ばないことがはっきりしてきた。 加工性能を上げようとすると異常放電の回避がままならないことが厳粛なる事実となってきた。
 日産の現場からもクレームが上がり、私も何回か対処に行ったが、ついに刀折れ矢尽きた。 日産系列会社全体に影響を及ぼすので、営業的にも大きな打撃である。 当時営業部長の神宮司さんの電話でやり合う大きな声が聞こえた。 相手は大概技術部長だった和泉さんであったろう。 そして二人とも事情は違うが相次いで辞めていった。
 かくしてNさんともしだいに疎遠になっていったが、 アメリカのシンシナチ社のシントロジェットなる放電加工機を2台入れたと言う情報で、 久し振りに見学させてもらいに行った。アメリカの放電加工機は、 当時国産機に比してグラファイト電極による加工能率が非常に高かった。 ただし当時のシントロジェット電源は真空管をたくさん使ったものなので、 ある時間過ぎると次々真空管の寿命が来て大変だったようである。 容量の大きいトランジスタは開発中の段階であった。

 鋳造型放電加工にエロックスとかシンシナチとかアメリカの放電加工機を早くから導入した会社もある。 現マツダの東洋工業とか住友金属とかがそうで、割合早くからグラファイト電極を使いだした。 アメリカの放電加工機はグラファイト電極しか使えないのである。 アメリカの放電加工機を導入した日産自動車も、その頃からグラファイト電極に傾斜して行った。
 またまた余談で恐縮であるが、アメリカの放電加工機が、なぜグラファイト電極のみ性能が良いかを、 数年前、身をもって体験した。
 研削盤では名門の岡本工作機械がアメリカのハンスベットなる放電加工メーカと提携して、 マニアル放電加工機とワイヤ放電加工機をやりたいと言うことで、 紹介者があってアドバイザーに入った。 ジャパックス退職後間もなくで、すでにハンスベットとの契約調印は済んでいた。
 取扱説明書を一読しただけで、日本やヨーロッパの放電加工機の常識とあまりにも違うのに驚き、 かつ自分の手で何か月かデータも採ったので実感としてもよくわかった。 卓上型小型放電加工機の電源の最大ピーク電流が何と150Aなのである。 それで最大平均加工電流は40Aである。 休止時間が短くならないようになっている。 日本の放電加工電源にはそのような発想はまったくない。
 グラファイト電極による荒加工にはピーク電流値の大きいことが望ましいので、それに徹している。 グラファイト電極の加工条件に特化して、それのみに重点指向してきた電源と言っていい。

 日産自動車などにシンシナチが入った頃、実は日本の放電加工機メーカでは、 未だグラファイト電極による放電加工特性が十分には把握されていなかった。 詳述する紙数はないが、匹敵する国産電源ができるのにその後数年の歳月を要した。
 日本がグラファイト対応に遅れた理由の一つは、グラファイト電極の切削加工に対する拒絶反応があった。 周辺環境を粉塵で汚染する上に、1型の加工に当時は電極が複数個要る。 電極を削っている間に金型が削れると言う意見が多かった。
 そこで日産では、Nさんが型製作課の課長当時、自らヨーロッパまで行き、 グラファイト電極成型機なるものを導入した。 特殊なマスター金型の中にグラファイト素材を揺動を与えながら押し込んで行く機械である。 金型の面は放電加工の荒加工面がちょうど良いそうで、原理はやすり加工である。 日産ではこれが成功し成果を上げた。日本では唯一の実績だと思うが、企業秘密なのか、 あまり発表はされなかった。

 Nさんはその後、銀座にあった本社に移り、全社的な鋳鍛造技術の向上にかかわった。 ある時訪ねて行って、最新の技術動向など交換した帰りに新橋あたりで一杯やった。 割勘でなければ付き合わないと言うので、貸し借りなしである。そんな人柄であった。 本社から静岡県の吉原工場に移り、その後、系列会社の役員に転出されたと聞いた。

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